片づけから起きた夫婦喧嘩~幸せの説明~
片付ける事が苦手な妻と、物に執着せずスッパリと捨ててしまう旦那の話です。
人物紹介
妻:不動産会社勤務の社員、姉さん女房、三姉妹の末っ子、五人家族
夫:主夫兼フリー、掃除好きの神経質、父子家庭育ち
起きた出来事
年末の大掃除にあたって、断捨離から夫婦喧嘩。
妻“とって置いただけなのに、どうして捨てるの?“
夫“ずっとここにあるけど、全く使わないし、君自身、奥に仕舞い込んでそれっきり。全く管理しないじゃないか。“
妻“私の物なんだから勝手に捨てないでよ!自分がされたらどうなの?“
夫“そんな事言うなら、たまには自分の持ち物を整理して不要なものを手放す事をしたらどうなんだ、全くだらしのない。そもそも君が片付けが苦手で、時にそれで落ち込むからこうしてやろうと思ったんだ。“
妻“そんな風にキッチリ決めないといけないの?全く息が詰まるわ、大体にして神経質すぎるのよ。そんなに嫌なら、一人になったらどうなの?“
夫“そんなこと言わないでくれよ。結婚したのだってお互いの同意の上でじゃないか。そんな事を言うのなら、君は僕のどこをみてこの人となら結婚生活を営んでいけると思ったんだい?“
妻“そんな貴方こそどうなのよ!!“
と言った具合に、年の瀬でピリつき、危うく離婚の危機、、、。
その後は、解決には至らず、モヤモヤのままお互いの事を淡々とこなしなんとか、年越し&お互い隅っこにしまってその話題に関しては、それっきり。
気づきを得たきっかけ
夫がブログの執筆にあたる。
テーマは幸せの説明。
内容としては自分が幸せを感じている状態を思い浮かべ、それはどんな場所でどんなやりとりや感情を感じその幸せという状態を作り出しているのか?と言うことを、自らと妻相手にも問いたことから始まった。
~妻の記録~
家族の時間
との事が連想された。
そこを架け橋として渡り、連想を更に掘り下げ、具体的にしてみた。
想起する状況:リビングで一緒にいる時間
状況:食べた後の食器、その匂い、
年齢:物心つくかつかないかの頃
会話:何気ない会話
匂い:見えない湯気、こもった匂い(料理、温かい感じ)=色で言うならオレンジ
感覚:ご飯食べ終わった後の満足感
~夫の記録~
考えていた、妻は思い浮かべて話せたが、夫は何かを考え込み上の空になった。
どうやら、その内側に答えを見出す事が出来ずにいたみたいだ。
そこで更に掘り下げてみた。
質問1:幸せの説明を考えると何を感じるのか?
↓
解答1:無理に何かを作らなければというものに似た不安。
質問2:では、イメージはしなくていいので自由に考えてみて下さい。
↓
解答2:違いを見つけれても落ち込まない時は、幸せかもしれません。どうしてか、そのほうが気分が安定します。そうすると、今の自分を変えなくて済むからです。今の自分を変えてから自らに許可を得るなんて辛いことと思います。
質問3:更に連想することを教えて下さい。
↓
解答3:マインドフル、スッキリしている感覚、今を受け入れて歩み続けられている時間、集中、充実、他者と自らの境界線がはっきりしてて文句が出ない状態。
と言った、マインドフルな状態を浮かべることがわかった。
考察とを踏まえた現段階での感想
妻にとって綺麗な家やリビング、キッチンが良いものだとしても、それが無いから不満があるかと言ったらそうでは無かった。どちらかというと、幸せを連想する状況下は必ずしも綺麗に片付けられている家庭ではなかった。夫の中にある像と妻の中にある像のギャップを、しっかりと認識する=お互いの理解を深める努力が、断捨離より、夫婦円満には重要。
綺麗にすることはとても素晴らしいですが、押し付けると今回のようなトラブルが引き起こされる。(物も0or100で必要に駆られて強引に手放そうとする事は反発も生みやすい。)
断捨離は風水と結びつき、気の流れを良くし、また新しい流れや出会いを呼び込むものとされてもいますが、やりすぎは消費主義に結びつき、結局ものが右から左に流れているだけで状態はさして変わりません。
最後に
掃除をするなとか、断捨離をするなという一局に偏った考えではなく。
お互いの持ち物はパーソナルな部分でもあると思うので、愛があるなら、そこにいてもいいと、存在や居場所を認めてみましょう。グレーゾーンもあっていいと認めてみる事です。全ては自分の心が決めているのですから。
ある意味で僕たちは、信じたいものを信じ、その通りに動いていますが、中庸性を大きく逸すると、感情が走り出し、偏った思考(妄想)に固執してしまいます。
誰も、トラブルを望んで断捨離をするわけではございませんが、ほどほどを弁えてやりすぎないようにしましょう。