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心耕し己に根を生やし

 

朝起きれない。まるで小学生のような悩みかと思いますが、それができなくて辛い人がおそらくたくさんいると思います。

 

職業柄、早く起きないといけない人なんかは、もしどこか・何かのきっかけでメンタルに不調をきたして起きれなくなってしまったら、余計不安なことと思います。

 

 

僕は、幼少期から遅刻魔で、多少遅れようが何も気にしなかった。

16夜学に入学し直して、それからは、朝は仕事、夕方からは学校の日々でしたが、そこでもギリギリ・もしくは5〜10分は遅れる。それでも、平気だった。仕事でさえも、です。

 

ここで言いたいのは、あくまで時間感覚が緩い、そんな性格だったっていうことです。

 

その頃から、それなりに忙しい毎日でした。

その頃は、音楽もしていました。

学校が終われば、ヤサに行って仲間と落ち合って制作に取り掛かったり、イベントに行き遊んだり・交流を広げたり。

 

そんな時間にルーズな僕ですが、周りの人間は受け入れてくれていた。そう思います。

もちろん、叱られることはありました。数えきれないほど。

ですが、他の良い面に目を向けてくれていた。今考えると、感謝でしかありません。

 

ここで言いたいのは、そんなこんなでもわりかし上手くやれていて、日々は充実し、ことも無く進んでいたということです。

 

そんなこんなで、1年が過ぎ、2年、そして3年が過ぎようとしていた頃。

 

ある日いつも通り、ギリギリの時間に目が覚めても、起きれない。

もっというと起きたくないんです。

頭の中でこういっていました。

 

いいや寝よ。もうどうでもいい。

死にたい。死ぬからいいや。

 

目にして不快な思いをされた方。本当にごめんなさい。

ですが、ぶっちゃけると、それが本心でした。

そして、今同じように思っているあなた。

はっきり申し上げると、起きて仕事にいけなくなった時点で危険信号が出ていると思います。夜ふかしの類の話ではないです。今までできていたことができなくなっている、現状の話です。

 

いろんな外的要因があると思います。もちろん、潜在的な内的要因も。

周囲の環境との食い違いや、軋轢。日々状況が変われば、自分の行いも変わる。気づけば、孤立していた。なんてこともあります。

 

そこで、負けじと生きれる人もいれば、そうじゃない人もいる。

ですが、そこに正誤も優劣もない。

この違いは、例えるなら、蜘蛛が苦手な人とそうじゃない人の違いのようなもので、起きてる現状含めて、その人生における現実の出来事にどう知覚するかの違いだと思います。

むしろ、そう思ってしまっている。僕がいたこと。

そう思ってしまっている、あなたがいること。これが問題だと思います。

 

人間みんな一緒、みんな頑張っている。仰るとうりです。

そして、その頑張りは、その人にとってどれぐらいの熱量で、ストレスで、向き不向きもある中の生産性かは、また人それぞれ違うのです。

そこはもう、本人にしか感じられない領域のことです。

 

とにかく、他者がどういったところで

今そこにいる貴方は、そこにいた僕は、少なくとも生きる気力がなく、いろんなものを投げやりにしてしまった。もしくは、してしまっている。

 

そうしないと、いけなかったんです。受け入れてあげてください。

じゃないと、自分の中の生命維持ができないほどの負荷を自らにかけていた。気付いたり、労う余裕がないくらい、目標や問題に一生懸命だった。

 

そこに目に見える、具体的な生産値や結果なんて、押し測る基準になんかなりません。

人と比べるのは、やめて、自分を責めているように思える情報からも離れましょう。

大切なのは、今弱っている貴方の人生が危うくなっている。その事実です。

 

逆に言えば、朝起きれない、いつもできていることが全くできなくなってしまっている人の内側では、そんな葛藤が起きている可能性があります。

 

 

18、19歳の頃にその状態になり、引き篭もったりしながらなんとか、社会生活に適応しようとしました。

自分を苦しめている、エゴからも離れました。それは、僕にとっては音楽活動でした。

地元からも離れました。もう誰も自分を知らないところで、1からやり直したかった。

 

かれこれ上京して、5年程経ちました。

症状は良くなったと思います。しかし、環境の変化で自分の心境や、人生の方向も変わってくる。

結局、今はまた体調を崩して、その時当時と同じことを考えている自分がいました。

 

当時と違い、幸運だったことは、妻がいて、そのことを受け入れてくれた。

 

今までは、誰にも話せなかった、見せれなかった姿を、見せざるをえなくて、そして心配してくれた。受け入れてくれた。この経験が、前回の不調の時とは違う行動を、呼んでくれました。

 

僕は病院に行くことを選べました。

メンタルクリニックは、想像では、陰鬱でもの暗いようなイメージを勝手に抱いていて、自分よりもっと症状が重い、人が行くべき場所なんだと思っていました。

 

ですが、実際はとても綺麗で、落ち着ける場所でした。

安定剤の凄さも知りました。

 

何より、第3者から認知の歪みや、休むべきとういう診断書を書いてもらい、人生のペースを緩められる。

 

今は、与えられた休暇を使って、次の人生の準備をしています。

それができるんです。

傷病手当というものも、人によっては受けられます。

会社に、労災申請してもらう必要ないんです。

 

それらが気持ちを楽にしてくれました。妻にも感謝しています。

 

さて、僕が言いたいことは、起きれない人皆、病院に行けというものではありません。

それが自分の気力に影響を与え、人生をあらぬ方向に進めようとしているなら、一旦立ち止まって、然るべき処置をしてくれるところに行き、然るべき処方箋をもらいましょう。

 

環境を変えることも良い影響を、与えてくれますが

根本的な治療は自分の中にしかありません。もちろん、病院にだって、貴方のことを実際には治せません。貴方が、僕が回復していく手助けをしてくれます。

 

自分が自分と向き合うしかありません。

ですが、

 

まずは、相談できる他者に相談し、受け入れてもらう。自分の口で、自分の状態を話し、聞いてもらう。何より、休んでいい許可を受けられる。これが大切です。

 

休むことは、一日中寝てろ、そんな話ではありません。

 

休日のように、好きなように過ごしてください。

してみたかったことをできる範囲で、してください。

食べてみたかったもの、食べに行きましょう。

学びたいこと、学びましょう。

自分の心と向き合って、思うままに走らせてみてください。

 

 

色んなことに気づけると思います。

 

今は、より良い人生の準備期間です。

生まれ変わる、手前のとても微妙な時期なんです。

 

どうかご自愛下さい。

 

そして、より良い人生がありますように。

 

本来人生はいいものだと、次の世代にも伝えていきたいですね。

 

では、また未来で会いましょう。