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心耕し己に根を生やし

幸せと物質について

 

 

主人はギターを買った。

どこぞの有名ギタリストが使っているものと同じ。

値段もそこそこ高い値がしていたものだ。

良い音も出るらしいし、見た目もかっこいい。

 

しかし、その主人は上手くギターが弾けなかった。

 

アンプに繋ぎ、音を出してみるが、コードはチグハグで、リズムもバラツキがある。

 

誰が聞いてもそれは下手で、人前なんかでは聴かせられる代物ではなかった。

 

それでもその主人は音楽が好きで、毎晩のようにギターをかき鳴らしては、時にコードの指遣いで躓き、時に単純な基礎練習に時間を多く取られながらも、そのギターと多くの時間を過ごした。友人のように。

 

しかし、綺麗なことばかりじゃなかった。

 

苦痛を伴うことの方が大方を占めていた。

 

できない自分と、憧れや、想像の中での自分とのギャップ。

 

仕事以外にも、普段の生活にも追われている。

 

夜になって落ち着く頃には、深夜を迎えそうな日がほとんどだった。

 

それでも、毎日コツコツ、ギターに触れ、その音色を奏でていた。

 

数ヶ月経つ頃には、粗は目立つが、技術もだいぶ向上し、街に出ては、小さな飲み屋のオープンマイクなんかで披露するようになった。

 

そこはみんな音楽が好きで、達者なプロアマから、カラオケのような歌歌い、某バンドが大好きなカバーバンドマン、とにかくライブの経験を積みたい駆け出しのラッパーなど、多種様々な人たちがいた。

 

皆、昼間は教師だったり、配管工だったり、看護師や学生、営業マン、会社役員とそれぞれ違う仕事をしていた。

 

そこで得たものは、出会いだった。

 

出会いは、新たな見識を呼び、新たな見識は新たな人生観や、チャンスを生んだ。

 

主人は、投資を始め、ビジネスに挑戦し、やがて以前より豊かになり、心は余裕を得た。

 

余裕は、更なる視野の広さや、柔軟な視点を生み出した。

 

ギターはプロほどではないが、以前より上達した。

 

主人は、ある日以前の人生との違いに気づいた。

人並みに、挫折が多い人生で、口だけで終わった夢もたくさんあった。

 

主人がしたことは以下の通りである。

 

・過去の挫折に囚われず、要身のある事に挑戦した。

・安いすぐ手に入る物ではなく、吟味し、自分の気持ちと向き合い、その時は実力に見合ってはなかったが素直に欲しいものに投資した。

 

・継続した。ある意味で挫折してきた自分を受け止めた分、自分に変な期待は持たなかった。

 

・弱い自分に対して、対策を設けた。

例えば、メンタルの上下を抑え自分をコントロールするために安定剤に頼る、食事の管理を学び食事の取捨選択をとる。

アルコールの摂取を軽減し、意思力を低下させる要素を排除する。

瞑想や、ジャーナルをつけ、日々の行動や感情にケジメをつけた。

夜ふかしは程々にし、寝るときはきちんと寝た。

 

つまりは、メンタルの良し悪しに左右される自分を受け入れ、弱さを認めた上で自分を変えた。

 

コツコツ継続した。=変な期待はない、下手だろうがなんだろうがもうその時がアジャストで夢の実現の瞬間であることに気づいた。

 

 

 

片づけから起きた夫婦喧嘩~幸せの説明~

 

片付ける事が苦手な妻と、物に執着せずスッパリと捨ててしまう旦那の話です。

 

人物紹介

妻:不動産会社勤務の社員、姉さん女房、三姉妹の末っ子、五人家族

夫:主夫兼フリー、掃除好きの神経質、父子家庭育ち

 

起きた出来事

年末の大掃除にあたって、断捨離から夫婦喧嘩。

 

“とって置いただけなのに、どうして捨てるの?“

“ずっとここにあるけど、全く使わないし、君自身、奥に仕舞い込んでそれっきり。全く管理しないじゃないか。“

“私の物なんだから勝手に捨てないでよ!自分がされたらどうなの?“

“そんな事言うなら、たまには自分の持ち物を整理して不要なものを手放す事をしたらどうなんだ、全くだらしのない。そもそも君が片付けが苦手で、時にそれで落ち込むからこうしてやろうと思ったんだ。“

“そんな風にキッチリ決めないといけないの?全く息が詰まるわ、大体にして神経質すぎるのよ。そんなに嫌なら、一人になったらどうなの?“

“そんなこと言わないでくれよ。結婚したのだってお互いの同意の上でじゃないか。そんな事を言うのなら、君は僕のどこをみてこの人となら結婚生活を営んでいけると思ったんだい?“

“そんな貴方こそどうなのよ!!“

 

と言った具合に、年の瀬でピリつき、危うく離婚の危機、、、。

 

その後は、解決には至らず、モヤモヤのままお互いの事を淡々とこなしなんとか、年越し&お互い隅っこにしまってその話題に関しては、それっきり。

 

気づきを得たきっかけ

 

夫がブログの執筆にあたる。

テーマは幸せの説明。

内容としては自分が幸せを感じている状態を思い浮かべ、それはどんな場所でどんなやりとりや感情を感じその幸せという状態を作り出しているのか?と言うことを、自らと妻相手にも問いたことから始まった。

 

~妻の記録~

 

家族の時間

 

との事が連想された。

そこを架け橋として渡り、連想を更に掘り下げ、具体的にしてみた。

 

想起する状況:リビングで一緒にいる時間

状況:食べた後の食器、その匂い、

年齢:物心つくかつかないかの頃

会話:何気ない会話

匂い:見えない湯気、こもった匂い(料理、温かい感じ)=色で言うならオレンジ

感覚:ご飯食べ終わった後の満足感

 

 

~夫の記録~

 

考えていた、妻は思い浮かべて話せたが、夫は何かを考え込み上の空になった。

どうやら、その内側に答えを見出す事が出来ずにいたみたいだ。

 

そこで更に掘り下げてみた。

 

質問1:幸せの説明を考えると何を感じるのか?

解答1:無理に何かを作らなければというものに似た不安。

 

質問2:では、イメージはしなくていいので自由に考えてみて下さい。

解答2:違いを見つけれても落ち込まない時は、幸せかもしれません。どうしてか、そのほうが気分が安定します。そうすると、今の自分を変えなくて済むからです。今の自分を変えてから自らに許可を得るなんて辛いことと思います。

 

質問3:更に連想することを教えて下さい。

解答3:マインドフル、スッキリしている感覚、今を受け入れて歩み続けられている時間、集中、充実、他者と自らの境界線がはっきりしてて文句が出ない状態。

 

と言った、マインドフルな状態を浮かべることがわかった。

 

考察とを踏まえた現段階での感想

 

 妻にとって綺麗な家やリビング、キッチンが良いものだとしても、それが無いから不満があるかと言ったらそうでは無かった。どちらかというと、幸せを連想する状況下は必ずしも綺麗に片付けられている家庭ではなかった。夫の中にある像と妻の中にある像のギャップを、しっかりと認識する=お互いの理解を深める努力が、断捨離より、夫婦円満には重要。

 

 綺麗にすることはとても素晴らしいですが、押し付けると今回のようなトラブルが引き起こされる。(物も0or100で必要に駆られて強引に手放そうとする事は反発も生みやすい。)

 

 断捨離は風水と結びつき、気の流れを良くし、また新しい流れや出会いを呼び込むものとされてもいますが、やりすぎは消費主義に結びつき、結局ものが右から左に流れているだけで状態はさして変わりません。

 

最後に

 

 掃除をするなとか、断捨離をするなという一局に偏った考えではなく。

お互いの持ち物はパーソナルな部分でもあると思うので、愛があるなら、そこにいてもいいと、存在や居場所を認めてみましょう。グレーゾーンもあっていいと認めてみる事です。全ては自分の心が決めているのですから。

 

 ある意味で僕たちは、信じたいものを信じ、その通りに動いていますが、中庸性を大きく逸すると、感情が走り出し、偏った思考(妄想)に固執してしまいます。

 

 誰も、トラブルを望んで断捨離をするわけではございませんが、ほどほどを弁えてやりすぎないようにしましょう。

 

芽が出る時は、、、

 

今日はブログについて

 

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〜執筆者が得れるもの〜

 

  • 自信=実績
  • 知識=発信した分だけ身につく
  • フォロワー=認知度
  • アフィリエイト収入
  • 文章力=言葉にできる力

 

〜閲覧者が得れるもの〜

 

  • 有益な情報
  • 魅力的な商品
  • ネットで商品を買うという体験
  • 消費者であり販売者である人の生の声、体験談

 

つまり、情報を発信したい人と、情報を得たい人の交流の場である。

 

アフィリエイトブログ界隈現状の問題点として

 

 が挙げられます。

 

つまりは、自分の文章自体の単価(価値)が安い。

 

そして、こんな疑問が浮かびます

 

  • その中でそんなことして、何の意味がある?
  • じゃあ、どうやって収益を上げる?
  • 人と同じことしているという、退屈さ。(空しくなる)

 

アフィリエイトブログ自体を否定しているのではありません。

 

人数がいっぱいの脱出ボートに乗ってもストレスや危機感は変わりませんよ?

ということです。

 

なぜか?あなたと同じ考えの人がどれだけいると思うか考えてみてください。

いかに、これで収益を上げるかのハウツーで溢れているか周りを見渡してください。

 

ましてや、収益化に時間がかかる。

 

 

しかし、ブログアフィリエイトは必要です。

なぜなら、あなた含めてみんなインターネットの情報をもとに検討し、商品購入をするからです。

その検討段階で、ポチッとすれば購入リンクがあるんです。こんな気の利くことありませんね?

 

そして、自分が何かしらの情報を発信することは、これから、さらに必要になていくことと思います。というかそれ無しには、労働するしか選択肢は残されていません。

 

そのために、皆情報を求めてWEBやSNSを駆使し、その森の中を彷徨い、ソフトやプログラムと仲良くなろうとしているわけです。

 

話が少しそれました。

本題に戻りましょう。

問題はその文章に価値があるか・ないか

 

ここです。

 

では、有益な情報や自らの経験、売り文句は全てその文章に含まれているとします。(アフィリエイトしている時点で含まれている。)

それ前提でどこに価値の違いが生まれるか、考えてみましょう。

 

価値がある文章とは?

 

上記の現状を踏まえた上で、思いつくことは

 

  • その人自体に人気がある=みんな真似したがる。
  • 人間的に魅力がある、面白い。

 

かと思います。

他にも考えつく限り並べてみてください。

 

僕であれば、

  • 記事が面白い
  • 説明がわかりやすい

 など

 

さて自分が思う価値ある文章のリストアップが済んだら

次は自分に落とし込みましょう。

 

抽象的なイメージ〜行動へ

  • 自分の中にある、宝ものを掘り起こす。

 ↓

深刻に考えず、面白い表現を世に出してみる。とにかく世に出すことが大切。)

  • あえて、真似をしない。

 ↓

世界に一人しかいないという感覚を養うことの方が大事。

 

さて、以上でここからまとめに入ります。

 

人の真似をして気を揉む必要はない。もうこれ以上しなくてもいいのです。

そして、これは誰かと似ているという差別化に神経をすり減らすことも今日でおしまい。

 

そんなエゴに振り回されていると、行き着くのは落ち着かない毎日だ。

 

全ては、原因があって結果がある。

 

ブログ以外の、発信もした方が宜しい。

 

相乗効果を利用しましょう。掛け算の考え方です。

 

臆病で、シャイかもしれない。

ですが、そんな人は億万といる。

そして、そんなあなたが外に発信することで救われる可能性がある人も億万といるのです。

 

それがあなた自身の人生の質を高め、価値を高めてくれるでしょう。

 

原因があり、結果がある。

 

時に草冠で蒔くという字です。

お互いがんばりましょう。

 

そして、また次の未来で会えますように。

 

朝起きれない。まるで小学生のような悩みかと思いますが、それができなくて辛い人がおそらくたくさんいると思います。

 

職業柄、早く起きないといけない人なんかは、もしどこか・何かのきっかけでメンタルに不調をきたして起きれなくなってしまったら、余計不安なことと思います。

 

 

僕は、幼少期から遅刻魔で、多少遅れようが何も気にしなかった。

16夜学に入学し直して、それからは、朝は仕事、夕方からは学校の日々でしたが、そこでもギリギリ・もしくは5〜10分は遅れる。それでも、平気だった。仕事でさえも、です。

 

ここで言いたいのは、あくまで時間感覚が緩い、そんな性格だったっていうことです。

 

その頃から、それなりに忙しい毎日でした。

その頃は、音楽もしていました。

学校が終われば、ヤサに行って仲間と落ち合って制作に取り掛かったり、イベントに行き遊んだり・交流を広げたり。

 

そんな時間にルーズな僕ですが、周りの人間は受け入れてくれていた。そう思います。

もちろん、叱られることはありました。数えきれないほど。

ですが、他の良い面に目を向けてくれていた。今考えると、感謝でしかありません。

 

ここで言いたいのは、そんなこんなでもわりかし上手くやれていて、日々は充実し、ことも無く進んでいたということです。

 

そんなこんなで、1年が過ぎ、2年、そして3年が過ぎようとしていた頃。

 

ある日いつも通り、ギリギリの時間に目が覚めても、起きれない。

もっというと起きたくないんです。

頭の中でこういっていました。

 

いいや寝よ。もうどうでもいい。

死にたい。死ぬからいいや。

 

目にして不快な思いをされた方。本当にごめんなさい。

ですが、ぶっちゃけると、それが本心でした。

そして、今同じように思っているあなた。

はっきり申し上げると、起きて仕事にいけなくなった時点で危険信号が出ていると思います。夜ふかしの類の話ではないです。今までできていたことができなくなっている、現状の話です。

 

いろんな外的要因があると思います。もちろん、潜在的な内的要因も。

周囲の環境との食い違いや、軋轢。日々状況が変われば、自分の行いも変わる。気づけば、孤立していた。なんてこともあります。

 

そこで、負けじと生きれる人もいれば、そうじゃない人もいる。

ですが、そこに正誤も優劣もない。

この違いは、例えるなら、蜘蛛が苦手な人とそうじゃない人の違いのようなもので、起きてる現状含めて、その人生における現実の出来事にどう知覚するかの違いだと思います。

むしろ、そう思ってしまっている。僕がいたこと。

そう思ってしまっている、あなたがいること。これが問題だと思います。

 

人間みんな一緒、みんな頑張っている。仰るとうりです。

そして、その頑張りは、その人にとってどれぐらいの熱量で、ストレスで、向き不向きもある中の生産性かは、また人それぞれ違うのです。

そこはもう、本人にしか感じられない領域のことです。

 

とにかく、他者がどういったところで

今そこにいる貴方は、そこにいた僕は、少なくとも生きる気力がなく、いろんなものを投げやりにしてしまった。もしくは、してしまっている。

 

そうしないと、いけなかったんです。受け入れてあげてください。

じゃないと、自分の中の生命維持ができないほどの負荷を自らにかけていた。気付いたり、労う余裕がないくらい、目標や問題に一生懸命だった。

 

そこに目に見える、具体的な生産値や結果なんて、押し測る基準になんかなりません。

人と比べるのは、やめて、自分を責めているように思える情報からも離れましょう。

大切なのは、今弱っている貴方の人生が危うくなっている。その事実です。

 

逆に言えば、朝起きれない、いつもできていることが全くできなくなってしまっている人の内側では、そんな葛藤が起きている可能性があります。

 

 

18、19歳の頃にその状態になり、引き篭もったりしながらなんとか、社会生活に適応しようとしました。

自分を苦しめている、エゴからも離れました。それは、僕にとっては音楽活動でした。

地元からも離れました。もう誰も自分を知らないところで、1からやり直したかった。

 

かれこれ上京して、5年程経ちました。

症状は良くなったと思います。しかし、環境の変化で自分の心境や、人生の方向も変わってくる。

結局、今はまた体調を崩して、その時当時と同じことを考えている自分がいました。

 

当時と違い、幸運だったことは、妻がいて、そのことを受け入れてくれた。

 

今までは、誰にも話せなかった、見せれなかった姿を、見せざるをえなくて、そして心配してくれた。受け入れてくれた。この経験が、前回の不調の時とは違う行動を、呼んでくれました。

 

僕は病院に行くことを選べました。

メンタルクリニックは、想像では、陰鬱でもの暗いようなイメージを勝手に抱いていて、自分よりもっと症状が重い、人が行くべき場所なんだと思っていました。

 

ですが、実際はとても綺麗で、落ち着ける場所でした。

安定剤の凄さも知りました。

 

何より、第3者から認知の歪みや、休むべきとういう診断書を書いてもらい、人生のペースを緩められる。

 

今は、与えられた休暇を使って、次の人生の準備をしています。

それができるんです。

傷病手当というものも、人によっては受けられます。

会社に、労災申請してもらう必要ないんです。

 

それらが気持ちを楽にしてくれました。妻にも感謝しています。

 

さて、僕が言いたいことは、起きれない人皆、病院に行けというものではありません。

それが自分の気力に影響を与え、人生をあらぬ方向に進めようとしているなら、一旦立ち止まって、然るべき処置をしてくれるところに行き、然るべき処方箋をもらいましょう。

 

環境を変えることも良い影響を、与えてくれますが

根本的な治療は自分の中にしかありません。もちろん、病院にだって、貴方のことを実際には治せません。貴方が、僕が回復していく手助けをしてくれます。

 

自分が自分と向き合うしかありません。

ですが、

 

まずは、相談できる他者に相談し、受け入れてもらう。自分の口で、自分の状態を話し、聞いてもらう。何より、休んでいい許可を受けられる。これが大切です。

 

休むことは、一日中寝てろ、そんな話ではありません。

 

休日のように、好きなように過ごしてください。

してみたかったことをできる範囲で、してください。

食べてみたかったもの、食べに行きましょう。

学びたいこと、学びましょう。

自分の心と向き合って、思うままに走らせてみてください。

 

 

色んなことに気づけると思います。

 

今は、より良い人生の準備期間です。

生まれ変わる、手前のとても微妙な時期なんです。

 

どうかご自愛下さい。

 

そして、より良い人生がありますように。

 

本来人生はいいものだと、次の世代にも伝えていきたいですね。

 

では、また未来で会いましょう。

 

 

 

 

死に急ぐな。

 

急ぐことは、自分じゃない誰かになろうとすること。そう思います。

 

 

みんな生きていくためには、食べなくてはいけない。

それが満たされると、SEXをして後世に自分を残す必要性に駆られる。

そしてその為には、自分じゃない他者に認めてもらう必要が出てくる。

 

どれも一人で完結できるものではないです。

 

そこで生まれてくることが、競争。

他者より、優秀でなければいけない。そういった、煽りのような空気の中で今まで生きてきました。競争のマインドが働くことは当然です。

現にそれが、自分に対して甘い餌を与えてくれたのです。

何より、脳みそは学習します。記憶します。

 

あの人は、これぐらいでできていた。

あの人は、これができていて人気がある。

 

自分の欲求が満たされないかった、その視線の先には、自分じゃないキラキラした他者がいました。

 

いつしか、負けないように頑張ることを覚え

いつしか、ズルをすることを覚えました。

 

そんな環境の中にずっと生きていても、聞こえてくるのは明るい未来の話題より

どれぐらい不景気だとか、自分の人生には直接関係のない開発や大起業の話題がほとんどだったように思えます。

 

みんなどこかに向かって進んでいる。

ただし、自分の幸せとは縁の遠いスケールの大きい、何か。

それが社会を動かしていることと思います。

そして、それの原動力の一つが競争です。欲望です。

 

僕は、それを想像すると、ゲージの中の家畜が浮かんできます。

生きる上で、あって当然の欲望を刺激させられて、誰かや何かの利益になるよう動かされている。

そして何より、僕自身も、生きていくためにそれらの動物たちを食べてきました。

 

その動物たちの生を、僕たちは身をもって味わっているのかも知れません。

 

ですが、何かのせいにしていても仕方がないし

それが、更なる憎悪を生み出すことになり、新たな競争を生むだけだと思います。

 

泣いても笑っても一度きりの人生の中で、基準に自分を当て込むことはナンセンスだと思います。

 

遅かれ早かれ、やってればできるようになるんです。

ただ、ダラダラのんびりやれというのではないです。

 

人と比べて、ありもしない価値基準を作り出して、自分をそして関わる人を卑下にしない方が結果として、成果につながるし

その人自身もその特定の分野では、抜きん出ていてはいなくても、十分素晴らしいのです。

 

会社や、学校、そのサークルから出たら、同じ一人の人間なんです。

 

いろんな思惑によって、作り上げられていたり

祭り上げられていて、輝いている人も少なくありません。

それは、その人にとっては、その場所・そのタイミングでそうなることがこれからに人生において必要だった。

 

運命や宿命といった、類の考え方です。

 

少しくらい仕事ができなくたって、あなたには

信頼し合える家族がいる。

少し他者より、健康に問題があって、実際に人に迷惑をかけてしまっているかも知れないけど、あなたには休む権利が与えられた。それは、あなたを責めているかも知れない、その人にだって同じく与えられたもので、いつかその人も使うことになるかも知れない。

 

もう、急がなくていいんです。競争しなくていいんです。

どこどこより優れているとか、誰々より優れている

そんな判断基準で自分や他者を、推測ることは自分、他者を商品や、ロボと見ていることと同意だと思います。

 

そして、商品やロボの見方で人間を当てはめて考えているといろんなものが欠落してしまう。

 

そんなこと言っていると、この社会が機能しない

経済が弱体化してしまう。そういう人も、中にはいるかも知れませんが

ある意味で、その考え方の結果の一つが人を病ませ、働く気力を奪い、生きる気力すら吸い上げてしまっているんだと思います。

 

その先にあるのは、社会において適応できなかった自分という劣等感と、心許ない手当、心安らがない社会の目、あとは処方箋の薬です。

 

僕含め、今悩んでいるあなた、休んでいるあなた、体調を崩してしまったあなた。

 

それでいいんです。そうなって当然なんです。

その、この人生だって、あなたにしか生きれない一度きりのものなんです。

 

遅いも早いもない、優劣もない、一点もののオールインワンなんです。あなたにしか出せないストーリーを持った名機なんです。(結局機械みたいな言い方になってしまった。)

 

そして、そんな自分や人生から再起するには、これまでの常識から抜け出すべきです。あなたにしかできない、使命なんです。

 

いつか、次の世代にそんな使命を果たしたストーリーを伝えてあげましょう。

 

未来があなたを待っている。

 

その未来で会いましょう。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

白湯

効果は感じられにくいです。地味。

けど、気づくと無くては、生きていけないそんな存在になります。

 

控えめにいって、素晴らしいです。

 

体の変化として、まずわかりやすいことは、尿の回数が増えること。

内臓が温められることによって、消化が促進されていることの表れらしいです。

 

老廃物の排泄。

 

エネルギーも滞ることが一番良くない。らしいです。

心の中も中もフロウできている時が、良いパフォーマンスを出しやすい。

ゾーンってやつですね。

 

人間は皆、受動体であり発信体でもある。

 

話が逸れました。

 

1日の飲料目安は約600~800ml。

温度はだいたい、50前後。(シビアにならず、飲み易い尚且つ暖かい感覚があれば○)

 

我が家では、ブリタで濾過した水道水を沸かして、サーモスのポッドに入れて常時置いてあります。

 

水道水だと、沸いてから15〜20分は沸かし続けないといけません。(カルキ抜き)

 

食後に飲むと、冷水に比べて心なしか、気がほぐれて良い感じです。

 

空腹時に飲むと、空腹が和らぎます。

 

他にも、夜の作業中のお供にもおすすめです。

カフェインのような、覚醒作用はありませんが、何か飲用することで眠気覚ましになり、間食による血糖値の上昇も避けられます。

 

糖分が欲しい時は、蜂蜜やオリゴ糖を入れるといいです。

他にも、

 

 

オリーブオイルを垂らす

コップ1杯の白湯に小さじ1杯程度のオリーブオイルをプラス。オリーブオイルは整腸効果が期待できるので、白湯だけよりもさらに便秘予防につながる。
スパイスを加える
カレーでおなじみのスパイス、クミンとコリアンダーをプラス。コップ1杯の白湯にそれぞれ小さじ1杯ずつが適量。腸のガス抜き・便秘解消の効果が期待できます。

ミントを入れる

コップにミントの葉を数枚入れ、そこに白湯を注ぎます。爽やかな香りにストレス解消効果が。花粉症でお悩みの方は、アレルギーの改善にもつながるとされるのでおすすめです。
 

はじめまして。

 

ブログを開設しました。

今は2022年の12月、周囲に比べると遅すぎるであろうスタートかと思います。

 

体調を崩し、休職したことがきっかけになりました。

 

診断は、適応障害でした。

 

安定剤を飲んで、気怠さから、ほとんど寝て過ごしている毎日、

頭の中では、職場の人間が出てきて、サボってると叱責される妄想が現れては、自己弁護してくれるような動画をYOUTUBEで探して、観ている。

納得いくか疲れてしまうまで、自分を正当化してくれるものを考えている。

 

そんな時間を過ごしていました。

何も手に付かない、やる気が起きない中から立ち直り、どういった日々を送っているか

 

今の自分と同じ状況や心境に立たされている人含めて世間に向けて、情報・考え方の共有をしていければと思います。

 

少しでも誰かの役に立ちますように。

 

KOSE